ドラマル

2020年3月19日

朝ドラ『エール』キャストのモデル一覧総まとめ!実在の古関裕而・金子夫婦には息子がいる

窪田正孝さん主演の朝ドラ『エール』のキャストの実在のモデルと考えられる人物を一覧で紹介、史実から今後の展開を予想します。

さらに、主人公・古山裕一のモデル古関裕而、ヒロイン・関内音のモデル古関金子をはじめとする各モデルの人物像に迫ります。

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NHK公式サイトの見解 | 登場人物のモデルについて

NHKの番組公式サイトに、『エール』登場人物のモデルについての見解が掲載されています。

昭和の音楽史を代表する作曲家・古関裕而(こせきゆうじ)氏と妻で歌手としても活躍した金子(きんこ)氏をモデルに音楽とともに生きた夫婦の物語を描きます。

出典:https://www.nhk.or.jp/yell/index.html

朝ドラ『エール』のモデルは、作曲家・古関裕而さんと妻の金子さんです。

ただし、『エール』に原作はなくオリジナル作品であることが、番組公式サイトにQ&Aの形で掲載されています。

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古関裕而に関する参考資料を紹介

古関裕而は福島が生んだ偉大な作曲家で、出身地の福島県福島市には「福島市古関裕而記念館」があります。より『エール』を楽しみたい方にとっては訪問する価値のある場所かと思います。

古関裕而に関する書籍

自伝としては『鐘よ鳴り響け 古関裕而自伝 (集英社文庫)』が、古関裕而が自身の作曲生活を振り返って記した一冊となります。

また、『君はるか 古関裕而と金子の恋』は、古関裕而の息子・古関正裕さんの著書で、父と母が残したラブレターを整理し、恋愛小説としてまとめ上げたものです。

古関裕而の妻・金子を主人公にしている小説としては、五十嵐佳子著『金子と裕而 歌に生き 愛に生き』があります。事実に基づいた小説で、女性らしい視点で書かれているのが特徴です。

朝ドラ『エール』には原作はありませんが、モデルとなった古関裕而の関連書籍は複数あり、新しい書籍も続々と刊行されています。興味のある方は書店をチェックしてみてください。

『エール』登場人物のモデル一覧

以下に、朝ドラ『エール』登場人物のモデル一覧を掲載します。主人公・ヒロイン以外のモデルはドラマ内の設定などから考察した人物となります。

古山家

役名キャストモデル役どころ
古山裕一窪田正孝古関裕而主人公
古山三郎唐沢寿明古関三郎次裕一の父
古山まさ菊池桃子古関ヒサ裕一の母
古山浩二佐久本宝古関弘之裕一の弟
権藤茂兵衛風間杜夫武藤茂平裕一の伯父

関内家

役名キャストモデル役どころ
関内音二階堂ふみ古関金子ヒロイン
関内安隆光石研内山安蔵音の父
関内光子薬師丸ひろ子内山ミツ音の母
関内吟松井玲奈金子の2人の姉?音の姉
関内梅森七菜金子の3人の妹?音の妹

その他

役名キャストモデル役どころ
村野鉄男中村蒼野村俊夫裕一の幼なじみ
佐藤久志山崎育三郎伊藤久男裕一の幼なじみ
藤堂清晴森山直太朗遠藤喜美治裕一の恩師
双浦環柴咲コウ三浦環音が憧れるオペラ歌手
木枯正人野田洋次郎古賀政男裕一と同期入社の作曲家

役名一覧に掲載のない登場人物は、モデルが不明なキャラクターとなります。判明した場合は追記していきますが、『エール』オリジナルキャラクターという可能性も高いでしょう。

『エール』各登場人物のモデルを紹介

朝ドラ『エール』登場人物のモチーフとなったモデルの方々を紹介していきます。

古山裕一(窪田正孝)のモデルは古関裕而

主人公・古山裕一(窪田正孝)のモデルは古関裕而(こせきゆうじ)です。

名前:古関裕而(こせき・ゆうじ)
本名:古關勇治(こせき・ゆうじ)
生年月日:1909(明治42)年8月11日
没年月日:1989(平成元)年8月18日(享年80歳)
出身:福島県福島市大町
子孫:長女・雅子、次女・紀子、長男・正裕

日本人として初めて国際的なコンクールに入選し、昭和に日本人が求めた曲を作り続けた作曲家です。軍歌・応援歌・歌謡曲など、生涯で5,000曲以上を作曲しました。

脳内データベースに古関裕而さんの曲が無いかもという方でも、ゴジラに出てくる『モスラの歌』なら知っている可能性が高いのでは?モスラの歌を作曲したのが古関裕而さんです。

古関裕而の生涯

古関裕而の生家は福島県福島市大町にあった呉服店「喜多三(きたさん)」です。近所には、後に作詞家・野村俊夫となる少年・鈴木喜八もいました。音楽好きの父親や音楽指導に力を入れていた小学校担任・遠藤喜美治らの影響で子供の頃から作曲に親しむことになります。

長男として家業を継ぐため、福島商業学校(現・福島商業高等学校)に入学しましたが、学業より作曲に夢中でした。折しも、在学中に家業の呉服店が倒産してしまいます。高校卒業後は、伯父・武藤茂平の経営する川俣銀行(現・東邦銀行川俣支店)に2年間勤務しました。

1929(昭和4)年、英国の音楽出版社チェスター社の作曲コンクールに、舞踊組曲『竹取物語』を応募し、入賞を果たします。日本人初の国際的作曲コンクール入賞は新聞でも大々的に報道され、報道を読んだ愛知県豊橋市の内山金子が古関裕而にファンレターを送ります。

1930(昭和5)年、熱烈な文通を経て2人はスピード結婚します。古関裕而20歳、金子18歳でした。同年、山田耕筰の推薦で、日本コロムビア専属の作曲家に迎え入れられ、夫婦で上京しました。

クラシックから流行歌へ舵を切ることを余儀なくされたため、苦労した時期もあったようですが、日本が戦争に入ると一転。戦時中は『露営の歌(1937)』『若鷲の歌(1943)』など、戦時歌謡(軍歌)で数々の名作を残し、その地位を不動のものとしました。

この時期、歌詞・野村俊夫、作曲・古関裕而、歌・伊藤久男で手がけた『暁に祈る(1940)』も大ヒットします。3人は福島県出身だったので、「福島3羽ガラス」と呼ばれました。

さて、戦時歌謡で一躍有名人となった古関裕而ですが、自分の歌を聴いて若者が戦死していくことへの自責の念を持っていたことから、戦後は日本を元気にするような曲を作ることに力を注ぎます。1964(昭和39)年開催の東京五輪で、入場曲『オリンピックマーチ』を手がけたことがその集大成となりました。

1973(昭和48)年、ラジオドラマなど数々の仕事を一緒に手がけてきた名コンビの菊田一夫が死去すると、古関裕而も第一線を退きます。また、1979(昭和54)年にオシドリ夫婦といわれた愛妻・古関金子が68歳で死去します。古関裕而が病気で亡くなったのは1989(平成元)年、80歳を迎えて間もなくのことでした。

「世界のマーチ王」ジョン・フィリップ・スーザになぞらえ、古関裕而は音楽に詳しい人たちから「日本のスーザ」と呼ばれることがあります。近世の日本のマーチ作曲者の代表的存在と評されたのです。

古山裕一(窪田正孝)のキャラクター

朝ドラ『エール』の古山裕一(こやまゆういち)も、福島で代々続く老舗呉服屋の長男で作曲家を目指します。公式サイトで確認した限りでは、結婚などの重大なイベントについては史実になぞらえて展開していくようです。

少年時代の古山裕一は、気弱でいじめられがちな少年として描かれます。少々ぼんやりしていて、周りには取り柄がない子どもだと思われていた古山裕一が音楽に出会い、どのように才能を開花させていくのかが見どころです。

また、モデルの古関裕而は、文通で自分と金子の関係をドイツの作曲家ローベルト・シューマンとその妻クララ(夫婦で交換日記をしていた)に例えてしまうようなロマンチックな青年でしたので、古山裕一の恋愛を窪田正孝さんがどのように演じていくのかが楽しみです。

古山三郎(唐沢寿明)のモデルは古関三郎次

古山裕一の父・古山三郎(唐沢寿明)のモデルは、古関裕而の父・古関三郎次(こせきさぶろうじ)です。

古関家の3男に生まれましたが、兄2人が亡くなってしまったので「古閑家7代目当主」となりました。続く古関裕而は8代目に当たります。

父親の本名は「三郎次」で、代々当主の世襲名「三郎治」を継いだという記述も見られるのですが、古関裕而の長男であり、古関裕而を歌い継ぐライブユニット「喜多三」を主催している古関正裕さんが自身を「九代目三郎次」と称しているので、どっちがどっち?という疑念はあります。

古関家は、福島市で老舗呉服店「喜多三(きたさん)」を営む裕福な家柄でした。江戸時代の当主は信夫山の薬王寺 大日如来坐像や旧祓川橋を寄進し、地域に貢献しています。

古関三郎次は従業員を十数人雇い、受け継いだ「喜多三」を繁盛させていました。子宝に恵まれない時期を経て、待望の跡取り息子・古閑裕而が生まれます。 古関三郎次と妻・ヒサは大喜びで長男を可愛がりました。

古関三郎次は音楽が好きで、当時は珍しい蓄音機を購入し、いつもレコードをかけていました。古関裕而は幼少の頃から音楽の中で育ちます。

古関裕而が家業を継ぐため商業高校に入学した1922(大正11)年、銀行恐慌が起こります。「喜多三」は知人の借金の連帯保証人となっていたことで大損害を受け、存続できなくなります。

呉服屋廃業後は規模を縮小し再開。場所を移転して、質屋と京染め取次業務を始めました。従業員はおらず、古関三郎次と次男・古関弘之の2人で店を維持している状態となります。最後は次男に店を任せて父は引退。そんな「喜多三」も、1927(昭和2)年に起った昭和金融恐慌のあおりを受け、完全に倒産してしまいました。

古関三郎次の余生は悠々自適で、好きな音楽を楽しむ日々だったと言われています。

1930(昭和5)年に古関裕而が上京して以来、父と息子のやりとりはあまりなかったようですが、1937(昭和12)年に大流行した軍歌『露営の歌』が長男・古関裕而の曲だと知って喜んでおり、古関裕而も親孝行ができたと喜んでいたそうです。古関三郎次は翌年、1938(昭和13)年に死去。66年の人生を終えました。

古山三郎(唐沢寿明)のキャラクター

朝ドラ『エール』の古山三郎(こやまさぶろう)は、福島の老舗呉服屋「喜多一」4代目店主という設定で、モデルの古関三郎次と同様、長兄と次兄が相次いで亡くなったため、三男でありながら店を継ぐことになったという数奇な運命を背負っています。

ドラマオリジナルだと思われるのは、子ども達には自分の信じた道を歩んでほしいと願っていることでしょうか。古関三郎次についても古関裕而の東京行きに反対していた節はありませんが、古山三郎は長男と次男両方に目をかけ、2人の夢をより積極的に応援してくれる父親になるのではないかと予想します。

古山まさ(菊池桃子)のモデルは古関ヒサ

古山裕一の母・古山まさ(菊池桃子)のモデルは、古関裕而の母・古関ヒサ(旧姓:武藤ヒサ)です。

老舗の呉服屋「喜多三」を営む古関三郎次の妻・古関ヒサは、絹織物産業が盛んな福島県川俣の出身。福島県有数の資産家・武藤家の三女として生まれました。兄に武藤家の跡取り・武藤茂平がいます。

武藤家当主は代々「茂平」を襲名しており、古関家当主の「三郎治」と同様です。つまり、古関ヒサは「先代の武藤茂平」の娘で「当代の武藤茂平」の妹、「当代の古関三郎治」の妻という立場になります。

結婚後、子供が生まれず養子も考えていたところ、待望の長男・古関裕而が生まれ、大切に育てました。また、次男・古関弘之にも恵まれました。

蓄音機から流れる音楽に夢中だった古関裕而に、古関ヒサは高級おもちゃのピアノを買ってあげました。そうしたフォローもあり、古関裕而は小学生になると家の卓上ピアノで作曲を始めるようになります。

嫁ぎ先の「喜多三」が倒産してしまい、苦労があったと思いますが、東京で音楽に励む息子を見守ります。1937(昭和12)年に大流行した軍歌『露営の歌』が息子・古関裕而の曲だと知ったときには、古関裕而に手紙を送り、喜びを伝えてくれる母親だったということです。

古山まさ(菊池桃子)のキャラクター

朝ドラ『エール』の古山まさ(こやままさ)も、福島県川俣の出身のお嬢様です。

子供ができない兄・権藤茂兵衛(風間杜夫)からの養子要請と古山裕一(窪田正孝)の音楽の道を応援したい夫・古山三郎(唐沢寿明)との間で板挟みとなり苦労する役どころ。

史実では、子供にめぐまれずに養子まで考えていたのは呉服屋を営む妹夫婦のほうですが、ドラマでは、兄の方が妹の子供を養子にしたいという設定に変わっています。

古山浩二(佐久本宝)のモデルは古関弘之

古山裕一の弟・古山浩二(佐久本宝)のモデルは、古関裕而の弟・古関弘之(こせきひろゆき) です。

古関弘之は福島の呉服屋「喜多三」を営む古関家の次男として生まれます。

長男・古関裕而が家業を継ぐため福島商業学校に入学し卒業するまでの間(1922~1928年)に、「喜多三」の経営は傾き完全に倒産してしまいます。その間、父・古関三郎次と一緒に縮小した「喜多三」を営業し、父が引退した後、1人店を存続させていたのは次男・古関弘之でした。

古関弘之がどのような志で家業に就いていたのかは分かりませんが、次男ならではの損な役回りを押し付けられてしまったようにも見えます。推測するしかありませんが、商業学校に行く傍らで音楽活動に夢中になっていた兄・古関裕而に対しては複雑な思いを抱いていたかもしれません。

古山浩二(佐久本宝)のキャラクター

朝ドラ『エール』の古山浩二(こやまこうじ)は、責任感が強い性格で、経営が傾く「喜多一」を立て直そうと奮闘します。東京へと出ていく兄への反発もあるようですが、自分の意志で福島に残って地元のために頑張ろうとする姿勢に気概が感じられます。

権藤茂兵衛(風間杜夫)のモデルは武藤茂平

古山裕一の伯父(母の兄)・権藤茂兵衛(風間杜夫)のモデルは、古関裕而の伯父(母の兄)・武藤茂平(むとうもへい) 。古関裕而の母・古関ヒサの兄にあたる人物です。

武藤茂平と妹・古関ヒサの実家である武藤家は、福島県川俣で味噌や醤油を醸造する「ちりめん屋」を営んでおり、県内随一の資産家でした。地主でもあり、自宅から見える景色は全て自分たちの土地といえるほど裕福な家系でした。

古関ヒサの兄・武藤茂平が古関裕而の人生に登場するのは、商業学校卒業後の古関裕而を、武藤茂平が自身が頭取を務める川俣銀行(現・東邦銀行川俣支店)に就職させたからです。継ぐはずだった「喜多三」が倒産し、就職先がなくなった甥に助け舟を出してあげたのです。

1928年から2年間、古関裕而は伯父・武藤茂平の家に居候しながら、伯父が経営する川俣銀行に勤めました。そして、古関裕而が川俣銀行で在籍している間に、家族に内緒でイギリスの作曲コンクールに応募した『竹取物語』が入賞することになります。

権藤茂兵衛(風間杜夫)のキャラクター

朝ドラ『エール』の権藤茂兵衛(ごんどうもへえ)は、古山まさ(菊池桃子)の兄、川俣の銀行を経営する大実業家です。

権藤茂兵衛(風間杜夫)は子どもにめぐまれず、古山家の兄弟のどちらかを養子として権藤家に迎えたいと思っているという設定ですが、モデルとなった武藤茂平については古関家から養子を貰おうとしたという話はありません。

念のため、古関ヒサの兄・武藤茂平に妻子がいたのか調べてみましたが、確実な情報は得られませんでした。もし子供がいなかったとしたら、自身が経営する川俣銀行で働いていた甥・古関裕而がそのまま跡取りになってくれたら都合は良かったのかもしれません。

関内音(二階堂ふみ)のモデルは古関金子

ヒロイン・関内音(二階堂ふみ)のモデルは、古関裕而の妻・古関金子(旧姓:内山金子)です。

名前:古関金子(こせき・きんこ)
旧姓:内山金子(うちやま・きんこ)
生年月日:1912(明治45)年3月6日
没年月日:1980(昭和55)年7月23日(享年68歳)
出身:愛知県豊橋市

古関金子の生涯

内山金子は、父・内山安蔵と母・内山みつの三女として、愛知県豊橋市に生まれました。7人兄弟(長兄と女6人姉妹)の4番目の子です。

内山家は音楽好きだったようです。家業は陸軍に物資を納入する業者でした。金子が12歳の時、父・内山安蔵が亡くなってしまい、その後は母・内山みつが家業を継いでいます。

金子は活発で、文学、音楽、絵や空想も好きな少女でした。豊橋高等女学校(現・豊橋東高等学校)を卒業後は、声楽家になることを目指しました。

1930(昭和5)年1月、金子は「福島の無名の青年が国際作曲コンクールで入賞」という新聞記事を読みます。古関裕而の『竹取物語』がイギリスのコンクールで入賞したという記事です。

金子は素晴らしい人がいるものだと感心、また自身が小学5年生の時に学芸会で「かぐや姫」役を演じて以来、「かぐや姫」と呼ばれていたことから、『竹取物語』に運命を感じ、すぐに古関裕而に「楽譜を送ってほしいと」手紙を書きました。金子が出した手紙がきっかけとなり、2人は熱い文通交際を始めます。

同年6月、古関裕而は愛知県豊橋市を訪問し内山金子にプロポーズ、金子は古関裕而について福島に行き、そのまま結婚します。電撃スピード婚のため周囲を大いに驚かせました。同年9月、古関裕而は、山田耕筰の推薦で日本コロムビア専属の作曲家に迎え入れられ、夫婦で上京します。

1931(昭和6)年、古関金子は帝国音楽学校に入学し、本格的に声楽の勉強を始めました。当時一緒に声楽を勉強していた中に、福島出身の伊藤久男がいました。

ベルトラメリ能子に師事し、舞台に出演。一番弟子として認められていましたが、1932(昭和7)年に長女・雅子が生まれ、1934(昭和9)年に次女・紀子も生まれたため、声楽の勉強を中断します。

戦中は腸チフスに感染し危篤となりましたが回復し、戦後は日本初の国際オペラ歌手・三浦環の意思を引き継ぎ、声楽の勉強を再開させます。

古関金子はドラマティックソプラノという珍しい声の持ち主で評判がありました。そこで古関裕而は周囲から促され、妻のためにオペラ3作『朱金昭』『トウランドット』『チガニの星』を作曲します。古関金子は出演のオペラは、1949(昭和24)年から1950(昭和25)年にかけてNHKで放送され、高い評価を得ました。

しかし、1946(昭和21)年に長男・正裕が生まれていたこともあり、オペラ3作を最期に声楽家から引退しました。その後は古関裕而さんを支える立場で活動します。古関金子は1980(昭和55)年、乳ガンが全身に転移して、68歳で亡くなりました。

関内音(二階堂ふみ)のキャラクター

朝ドラ『エール』の関内音(せきうちおと)は、豊橋市内で馬具の製造販売を行う関内家の三姉妹の次女という設定で、プロの歌手を目指しています。

主人公・古山裕一(窪田正孝)同様、公式サイトで確認した限りでは、結婚などの重大なイベントについては史実になぞらえて展開していくようです。

モデルの古関金子は、声楽家の才能が有りながら、3人の子宝に恵まれています。子育ての忙しさや戦争の影響などで声楽家としての活動を何度か中断後、やむなく引退しているので声楽家としては不完全燃焼だったかもしれません。

しかし、作曲・古関裕而、歌・古関金子という夫婦コラボでのオペラ3部作が世に出たことは良かったと思いますし、古関金子は人生を後悔することはなかったのでしょう。

ドラマの関内音には結婚後、プロ歌手になる夢と母や妻の両立が現代の視点でどのように描かれていくのかが見どころです。また、関内音を演じる二階堂ふみさんは声が魅力的だと思うので、ドラマでの歌声が楽しみです。

関内安隆(光石研)のモデルは内山安蔵

関内音の父・関内安隆(光石研)のモデルは、古関金子の父・内山安蔵です。

内山安蔵は陸軍の獣医部を定年退職後、陸軍の御用商人となり、愛知県豊橋市で蹄鉄を作る工場を始め、豊橋市に駐屯していた陸軍第十五師団に蹄鉄などを納めていました。従業員も多くいたそうです。しかし、父・内山安蔵は金子が12歳の時に死去、家計は苦しくなります。

関内安隆(光石研)のキャラクター

朝ドラ『エール』の関内安隆(せきうちやすたか)は、軍に納品する馬具を製造販売する会社を経営しており、音楽が好きという設定。モデルとなった内山家も音楽が絶えない家庭だったようです。

史実に沿った展開とすると、関内安隆は関内音が12歳のときに亡くなってしまうのですが、ドラマではどうなるでしょうか。

ところで、モデルの古関金子には、兄・勝英がいて、満州で事業をしたそうです。女学校を卒業した金子は、満州の兄のところに遊びに行きましたが、帰国時、乗っていた客船が座礁・沈没という出来事に遭遇し、金子は死を覚悟したというエピソードがあります。

ドラマの関内音(二階堂ふみ)には兄がいないので、この話をドラマで採用するとしたら、父との思い出として描かれるのではないかと予想します。すると、父は単身満州に渡り、向こうで長生きしたという展開もあり得るのではないでしょうか。

関内光子(薬師丸ひろ子)のモデルは内山ミツ

関内音の母・関内光子(薬師丸ひろ子)のモデルは、古関金子の母・内山ミツです。

金子の父・内山安蔵の死後は、妻・内山ミツが家業を縮小して引継ぎ、7人の子供を女手一つで育て上げました。

関内光子(薬師丸ひろ子)のキャラクター

朝ドラ『エール』の関内光子(せきうちみつこ)は、3人娘のお母さん。女性も自立すべきと考え、3人の娘たちにはそれぞれ好きな道を歩ませたいと考えています。

モデルの内山ミツが家を支え、7人の子育てをしたしっかり者のお母さんなので、ドラマの関内光子も肝っ玉があるお母さんとなるのではないでしょうか。

関内吟(松井玲奈)と関内梅(森七菜)のモデルについて

関内音(二階堂ふみ)の姉・関内吟(松井玲奈)、妹・関内梅(森七菜)のモデルについて考察します。

朝ドラ『エール』の関内家の3姉妹は、長女・関内吟(松井玲奈)がオシャレ好き、次女・関内音(二階堂ふみ)が歌手を目指し、三女・関内梅(森七菜)が文学少女というそれぞれの特技を持っています。

一方、関内音(二階堂ふみ)のモデル、古関金子は7人兄妹でした。長男・勝英を筆頭に、長女、次女、三女・金子、四女、五女、六女となります。

したがって、誰がモデルということはできませんが、上のお姉さん2人の要素が関内吟(せきうちぎん)に、下の妹さん3人の要素が関内梅(せきうちうめ)に振られているのかなと思います。

実在の姉については、古関金子が夫と上京したとき、長姉の家に居候して新居を探したという話がありますし、上から2番目の姉とは特に仲が良かったという話もあります。ドラマでも、なんだかんだと関内音の世話役・相談役になっていくのではないかと予想します。

実在の妹については、具体的な情報がないのですが、古関金子自身が文学好きで、声楽家を目指すのでなければ、日本女子大学の文学科に進学したいと思っていたようなので、古関金子の文学少女の部分がドラマの妹・関内梅に反映されていくのかと思います。

村野鉄男(中村蒼)のモデルは野村俊夫

古山裕一の幼馴染・村野鉄男(中村蒼)のモデルは、作詞家・野村俊夫(のむらとしお)です。

野村俊夫(本名・鈴木喜八)は、1904(明治37)年、福島県福島市大町の魚屋「魚忠」で生まれました。ガキ大将として育ち、近所に住む5歳年下の古関裕而とも遊んでいました。

その後、鈴木一家は県内の別の場所に引越し。野村俊夫は福島市立第一小学校を卒業、福島商業学校へと進学します。福島商業学校は古関裕而の母校でもありますが、5歳差があり野村俊夫のほうは中退しているので、在学期間は被っていないものと思われます。

1924(大正13)年、20歳の時に福島民友新聞社に入社。1931(昭和6)年、日本コロムビア専属作曲家として上京していた古関裕而のすすめで上京します。

同年、『福島行進曲』が発売されます。この曲は、古関裕而が14歳の頃から参加している「福島ハーモニカ・ソサエティー」との関連で、野村俊夫が作詞、古関裕而が作曲したものです。

戦時中リベラル派であったため仕事が先ゆかず、家族を養うため戦時歌謡の作詞をするようになります。1939(昭和12)年の『上海夜曲』のヒットにより、日本コロムビア専属作詞家となりました。

戦中は、『暁に祈る(1940)』を手がけた3人―歌詞・野村俊夫、作曲・古関裕而、歌・伊藤久男―が福島県出身だったことから、「福島3羽ガラス」と呼ばれて活躍。戦後は、作曲家・古賀政男とのコンビで『湯の町エレジー(1948)』を大ヒットさせ、以降、作詞・野村俊夫、作曲・古賀政男での曲を数多く手がけます。

1951(昭和26)年、日本音楽著作権協会(JASRAC)の理事となり、音楽家の権利の保護と地位向上に務めたのでした。

村野鉄男(中村蒼)のキャラクター

朝ドラ『エール』の村野鉄男(むらのてつお)は、魚屋「魚治(うおはる)」の長男で、けんかが強く近所のガキ大将ですが、一方で詩を愛する優しさを持っているキャラクターです。

史実同様、将来は作詞家となり、小山裕一・村野鉄男・佐藤久志のトリオで「福島三羽ガラス」と呼ばれ活躍することになっています。

佐藤久志(山崎育三郎)のモデルは伊藤久男

古山裕一の幼馴染・佐藤久志(山崎育三郎)のモデルは、歌手・伊藤久男(いとうひさお)です。

伊藤久男(本名・伊藤四三男)は、1910(明治43)年、福島県本宮市の豪農の4男として生まれます。父・伊藤彌は県会議員、兄・伊藤幟は衆議院議員であり、とても裕福な家庭に育ちました。

伊藤久男はピアニスト志望でしたが、家族に反対されます。そこで、「東京農業大学」に進学するもこっそり退学、「帝国音楽大学」に入学してしまいます。「帝国音楽大学」には、古関裕而の妻・金子が在籍しており、住所も同じ世田谷であったことから、伊藤久男と古関裕而は関係を深めます。

農大を退学したことが家族に知られて仕送りが中止されたため、日本コロムビアで合いの手やお囃子(おはやし)を吹込むアルバイトを始めます。これがきっかけとなって歌手としての道を進み、日本コロムビアからデビューを果たします。

1938(昭和13)年に発売した『湖上の尺八』が初ヒット。1940(昭和15)年に、『暁に祈る』(※歌詞・野村俊夫、作曲・古関裕而、歌・伊藤久男、「福島三羽ガラス」として初のトリオ曲)が大ヒットして一躍、戦時歌謡歌手として全国にその名が知れ渡りました。

戦後は軍事歌謡を歌っていた責任感から酒に溺れ、ひきこもり状態になったらしいのですが、1947(昭和22)年、『夜更けの街(作曲・古関裕而)』で歌手に復帰し、1948(昭和23)年には全国高校野球大会の大会歌となる『栄冠は君に輝く(作曲・古関裕而)』を発売しました。

さらに、1949(昭和24)年に戦後の代表曲となる『イヨマンテの夜(作曲・古関裕而)』が大ヒット。1952(昭和27)年、第2回NHK紅白歌合戦にも出場し、その後も計11回の出場。1982(昭和57)年、第24回日本レコード大賞特別賞を受賞。結婚は2回しています。

佐藤久志(山崎育三郎)のキャラクター

朝ドラ『エール』の佐藤久志(さとうひさし)は、県議会議員をつとめる裕福な家の息子で、古山裕一の小学校の同級生という設定です。

史実では、伊藤久男の出身地・福島県本宮市は、古関裕而、野村俊夫の出身地・福島県福島市大町からは少し離れており、伊藤久男との初めての出会いは古関裕而が上京した後の話となります。年齢も古関裕而が1歳年上です。ただ、2人には同年代ならではの仲の良さがあったようです。

したがって、ドラマで2人を小学校の同級生としたのは絶妙な変更だと思います。後に「福島三羽ガラス」と呼ばれることを考えると、3人とも幼馴染だったとするほうがドラマチックです。

また、ミュージカルの申し子・山崎育三郎の歌声は楽しみでしかありません。

藤堂清晴(森山直太朗)のモデルは遠藤喜美治

古山裕一の恩師・藤堂清晴(森山直太朗)のモデルは、古関裕而の小学校の担任・遠藤喜美治です。

1891年(明治24)年、遠藤喜美治は農家に生まれます。教師・遠藤喜美治の学歴は、今風にいうとなんと「小卒」になります。実家近くの要田小学校を卒業後、母校の小間使いや代用教員といった仕事をしながら勉強に励み、難関の文部省教員検定に合格して正式な教師となったのです。

遠藤喜美治は福島師範附属小学校に教師として採用され、古関裕而の担任を小学校3年から6年生まで務めました。音楽に教育熱心な教師で、自分が作曲して聞かせたり、生徒に童謡を作らせたりと型破りな教え方をしています。古関裕而は授業を一番楽しみにしており、遠藤喜美治から歌唱と綴り方の指導を受け、音楽に目覚めていくのでした。

その後、遠藤喜美治は他の地で教師をしながら学問に励み、私塾を開くまでになりました。

古関裕而が上京して10年ほどの1941(昭和16)年頃、遠藤喜美治は自分の母校・要田小学校の校歌の作曲を古関裕而に頼みます。遠藤喜美治が作詞した校歌は、現在は歌詞が変わっていますが、今でも学び継がれているそうです。

藤堂清晴(森山直太朗)のキャラクター

朝ドラ『エール』の藤堂清晴(とうどうきよはる)は、古山裕一の小学校の担任です。

音楽教育に情熱を傾けている先生で、古山裕一の作曲の才能をいち早く見いだして、音楽の道を応援してくれます。古山裕一が大人になってからも相談相手として登場します。

シンガーソングライターの森山直太朗がどのように音楽を教える先生を演じていくのか楽しみです。

双浦環(柴咲コウ)のモデルは三浦環

関内音に影響を与える歌手・双浦環(柴咲コウ)のモデルは、世界的オペラ歌手・三浦環(みうらたまき)です。

オペラ『蝶々夫人』の蝶々夫人役で国際的名声を博し、『蝶々夫人』の作曲家プッチーニが「世界でただ一人の蝶々」と称えた日本人初のプリマドンナでした。

1884(明治17)年、東京生まれで本名は柴田環。幼少時から長唄、日本舞踊、琴を学びます。1900(明治33)年、東京音楽学校(現・東京芸術大学音楽学部)に進学。ピアノは滝廉太郎に教わりました。在学中の1903(明治36)年、日本人による最初のオペラ『オルフェオとエウリディーチェ』に出演し、注目されるようになります。

卒業後は山田耕筰らを指導し助教授に。ちなみに、山田耕筰は後に生まれる古関裕而の憧れの作曲家、三浦環は後に生まれる古関金子が憧れたオペラ歌手であります。

国内でプリマドンナとしての活躍を続け、1914(大正3)年に渡欧。翌年ロンドンで『蝶々夫人』を歌って好評を博し、以後1935(昭和10)年の帰国までに、欧米各地で2000回出演を記録。世界的プリマドンナとして活躍しました。結婚は2回しており、恋多き女性でもあったようです。

三浦環が帰国すると、日本では古関裕而が作曲した『船頭可愛いや(1935)』が流行していました。この曲は、売れない古関裕而が日本日本コロムビアをクビになりかけたとき、やっと飛ばしたヒット曲でした。

三浦環は『船頭可愛いや』を気に入り、古関裕而にレコードに吹き込みたいと依頼します。著名な芸術家から声が掛かることは大変名誉なことで、古関裕而、三浦環の大ファンだった妻・古関金子も大喜びします。さらに、古関裕而が三浦環のために『月のバルカローラ』をプレゼントすると、2曲ともレコードに吹き込んでくれたということです。

戦後、三浦環は音楽活動を再開するのですが、1946(昭和21)年に癌で死去しました。62歳でした。古関裕而の妻・古関金子は、三浦環の意思を引き継いで声楽を再開するのでした。

双浦環(柴咲コウ)のキャラクター

朝ドラ『エール』の双浦環(ふたうらたまき)は、世界的に活躍するオペラ歌手で、関内音がプロの歌手を目指すきっかけとなる人物です。

史実では、古関夫妻との出会いは三浦環が日本に帰国後となりますが、ドラマでは、11歳の関内音が双浦環と実際に出会い、東京の音楽学校で再開するという流れになります。

さて、柴咲コウさんは、静岡が舞台のNHK大河『おんな城主 直虎』で直虎を演じています。柴咲コウさんは子供の頃の夏休みを静岡で過ごしており、静岡に縁を感じているそう。そして、朝ドラ『エール』の双浦環のモデル・三浦環は東京出身ですが、両親のルーツは静岡にあります。

木枯正人(野田洋次郎)のモデルは古賀政男

古山裕一と同期の作曲家・木枯正人(野田洋次郎)のモデルは、作曲家・古賀政男(こがまさお)です。

古賀政男(本名・古賀正夫)は、1904(明治37)年、福岡県に生まれました。7歳で父が亡くなり兄のいる朝鮮半島で暮らします。兄からマンドリン、従兄から大正琴をもらい、弦楽器に目覚めます。

1923(大正12)年に明治大学予科に入学。在学中にマンドリン倶楽部創設の一翼を担い、明治大学マンドリン倶楽部演奏会にて『影を慕いて』を発表しました。

1931(昭和6)年、日本コロムビア専属の作曲家となります。1930(昭和5)年には古関裕而が日本コロムビア専属の作曲家となっています。古関裕而が曲が売れすクビになりかけていたとき、古賀政男が「芸術家にスランプはつきもの」と会社に抗議して助けたというエピソードがあるそうです。

テイチク所属期間を経て、1938(昭和13)年に日本コロムビアへ復帰。戦中はあまりヒットが出なかったよう。しかし、1948(昭和23)年、作詞・野村俊夫でコンビを組んだ『湯の街エレジー』がヒット。美空ひばり・島倉千代子・小林幸子などにもヒット曲を提供し、国民的作曲家としての地位を確立しました。制作した楽曲は5000曲ともいわれ、「古賀メロディー」として今も親しまれています。

「古賀ギター歌謡協会」(後の古賀ギター学院)を設立。日本作曲家協会初代会長として、服部良一らと「日本レコード大賞」を制定したことでも知られています。

木枯正人(野田洋次郎)のキャラクター

朝ドラ『エール』の木枯正人(こがらしまさと)は、コロンブスレコードに古山裕一と同期で採用された作曲家。ギターという特技があり、モデルの古賀政男を思わせます。

主人公・古山裕一(窪田正孝)と同期なので、同じ作曲家として励まし合いときにライバルとして切磋琢磨する関係になると思われます。

野田洋次郎さんは、アニメ『君の名は。』で有名になった「RADWIMPS」のボーカルとギターを努めています。俳優としての活躍とドラマ内でのギターの弾き語りが楽しみです。

まとめ

以上、朝ドラ『エール』の出演者のモデルを紹介しました。昭和の音楽史を代表するような方々がモデルになっており、キャストも実際に音楽活動をされている方が当てられているので興味深いですね。

既に書いてある通りですが、古関裕而さんと金子さんには娘さんが2人、息子さんが1人います。息子の古関正裕さんはご存命で、古関裕而を歌い継ぐライブユニット「喜多三」を主催しています。目元がお父様に似ていらっしゃるような雰囲気です。

気が早いようですが、ドラマの古山裕一(窪田正孝)&音(二階堂ふみ)の間には子供が生まれるのか?キャストは誰なのかも気になります。他の登場人物を含め、新たな情報がありましたら、本記事も更新していきたいと思います。